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東京地方裁判所 平成5年(ワ)22357号 判決 1998年3月18日

原告

飯高猛弘

右訴訟代理人弁護士

内田雅敏

被告

乙山一郎

右訴訟代理人弁護士

小林喜浩

被告補助参加人

田中伸明

右訴訟代理人弁護士

阿部三夫

左近輝明

主文

一  被告は、原告に対し、金一億〇一四九万円及びこれに対する平成五年一二月八日から支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を却下する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

事実及び理由

第一  事案の概要及び判決の骨子

原告は、弁護士である被告に株券を信託したところ、被告がその一部を①無断で原告の妻に贈与し、また②架空債権に基づいて競売させてしまった。さらに、被告は、③右株式の発行会社に担保提供をさせ会社に財産的損失を与え、また④新株発行により、受託株式の株価の低下をもたらし原告に損失を与えた。さらに、被告は、原告からの⑤預り金を返還しない。そこで、原告は、被告に対して、信託契約違反または不法行為に基づき、損害賠償を請求した。

これに対し、本判決は、「①は無断ではない。②は執行債権があるが信託契約違反であり、時価と競売代金の差額の損害賠償責任を認める。③④は会社が請求するのが原則であり、株主であった原告が直接請求することはできない。⑤は証明がない。」等と判断して、②についてだけ請求の一部を認容した。

第二  原告の請求

被告は、原告に対し、金一三億三四四三万円及び内金一〇億円に対する平成五年一二月八日から、内金三億三四四三万円に対する平成七年二月六日から、各支払済みに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

第三  当事者の主張

一  原告の請求原因

1  当事者

被告は平成九年三月四日に除名処分を受けるまで弁護士であった者であり、原告は、個人として、また訴外株式会社飯高(以下「(株)飯高」という。)の代表者として、被告に法律事務等を依頼していたものである。

2  信託契約(株式信託)

原告は、(株)飯高の発行済株式総数一四万株(以下「本件株式」という。)全部を個人として有していたが、昭和六一年一〇月二四日これを管理目的で被告に信託していた。

3  信託契約違反

(一) 五万株の無断贈与

(1) 内容

被告は、平成五年一月一一日、原告に無断で、本件株式のうちの五万株を当時別居中の原告の妻の飯高正子(以下「正子」という。)に贈与し、株券を引き渡した。

(2) 損害

後記5の新株発行により(株)飯高の発行済株式総数は二〇万株となっていたから、(1)の贈与により、原告は、(株)飯高に対する持株比率が二〇分の一四から二〇分の九と半分以下に低下するという損害を被った。

(二) 架空債権に基づく競売による九万株の喪失

(1) 内容と違法性

被告は、(株)飯高が原告に対して事実に反し貸付債権を有するとして、平成五年六月一六日、(株)飯高をして右架空債権に基づき原告の有する本件株式のうちの九万株の引渡請求権を差し押さえさせ、同年七月二二日にこれを競売させ、原告から右九万株の本件株式を喪失させた。

(2) 信託契約解約後の行為の性格

原告は平成五年四月二二日に被告に対し信託契約を解約する旨の意思表示をしており、右差押競売は、右解任後のこととなるが、被告が未だ受託していた本件株式の返還を拒否していた時期のことであり、信託契約違反に該当する。

仮にそうでないとしても、(1)の行為は、不法行為に該当する。

(3) 目的の違法性(予備的違法性)

仮に執行債権が架空でないとしても、当時原告は(株)飯高の代表者であり、原告の本件株式引渡請求権を(株)飯高が差押競売することはあり得ない。右差押競売は、債権回収ではなく、原告を(株)飯高から追放することを目的としてされたものである。

(4) 損害

(一)の本件株式五万株の無断贈与と合わせて、原告は、本件株式の全部を失った。一〇〇億円以上あった(株)飯高の資産を全て失ったから、これが損害である。

仮にそうでないとしても、右失われた九万株の時価が損害というべきところ、その金額は三四億三九一七万円である。

4  不法行為(一)((株)飯高の担保提供による会社資産及び本件株式の評価損失)

(一) (株)飯高による不動産信託

(株)飯高は、昭和六二年一月一七日その所有する別紙物権目録記載一、二の土地(以下「千石の土地」という。)を管理処分目的で被告に信託した。

(二) 千石の土地の担保提供

被告は、平成三年六月七日、訴外中外鑛業株式会社(以下「中外鑛業」という。)が大和ファイナンス株式会社(以下「大和ファイナンス」という。)から一一五億円を借り入れる際に、この千石の土地を大和ファイナンスに対して担保提供をした。ところが、中外鑛業は、一年もしない平成四年四月頃から返済ができなくなり、同年一一月一一日に競売開始決定がされた。

(三) 過失

右(二)の担保提供は、(株)飯高において別紙物件目録記載三の土地(以下「神田神保町の土地」という。)を購入して中外鑛業に転売して利益を上げようとする計画を実行する目的で、中外鑛業の借入れのためにしたものである。しかし、神田神保町の土地の売主の合資会社東洋キネマ(以下「東洋キネマ」という。)に処分権限の問題があって(株)飯高においてきちんと買い受けられるか不安があり、さらに中外鑛業が転売して利益を上げなければ担保権を実行されるおそれもあり、二重のリスクがあった。

したがって、被告は、千石の土地に担保を設定すれば右土地を失う危険があることを認識できたはずであるところ、そのリスクを無視して、担保提供を実行した。

(四) 損害

(二)の担保権の設定は、右担保権が実行されて、(株)飯高がその保有資産である千石の土地を喪失するという危険をもたらすものであり、現に平成九年二月に競落された。その結果、原告はいわば(株)飯高名義で有していた一〇〇億円以上の資産を失うこととなった。

仮に右のようにいえないとしても、神田神保町の土地の売買に関し、仲介業務をしていない有限会社ブルータス(以下「ブルータス」という。)に仲介手数料名目で支払った二億九四七三万円、同立退交渉名目で支払った一億五〇〇〇万円及び被告が受け取った四億六〇〇〇万円以上の報酬の合計九億〇四七三万九六五〇円は、原告が(株)飯高名義で有していた財産の喪失による損害である。

5  不法行為(二)(新株発行による損失)

(一) 新株発行

被告は、平成四年一一月二八日(株)飯高に新株六万株を発行させ、これを被告の分身とも呼ぶべきブルータスに九〇〇〇万円という極めて低廉な価格で引き受けさせた。

(二) 損害

(一)の新株発行により、一〇〇億円以上の資産からなる(株)飯高の株式全部(一四万株)を所有していた原告は、その二〇分の六の資産価値を喪失した。

6  不法行為(三)(預り金不返還)

被告は、遅くとも昭和六〇年一二月当時原告の資産を原告の代理人又は管理人として預かることのできる立場にあり、預り金が翌昭和六一年六月までの間八億四二二六万九〇〇〇円ほどあったところ、原告の債務の返済に充てたとされるもののうち、次の金員(合計三億三四四三万円)が使途不明となっている。

(一) 五五〇〇万円

被告は、この金員を原告の訴外郡央商事株式会社(以下「郡央商事」という。)からの借入金の返済として、昭和六一年六月四日に支払った旨を主張しているが、原告が郡央商事から借り入れた事実はないので、右金員は使途不明である。

(二) 一億一五八二万円

被告は、訴外日新エステート株式会社(以下「日新エステート」という。)に対する損害金として昭和六一年六月五日に二億六五八二万円を支払った旨を主張しているが、そもそも同社への返済は一億五〇〇〇万円が上限であり、これを超える一億一五八二万円は、使途不明である。

(三) 一億六三六一万円

被告は、訴外東和土地建物株式会社(以下「東和土地建物」という。)に対する損害賠償金として昭和六一年六月五日に標記の金額を支払ったとされているが、内容を説明できないのであり、使途不明金である。

7  よって、原告は、被告に対し、1から5の信託契約違反及び不法行為を理由とする損害賠償金の内金として一〇億円とこれについての訴状送達の日の翌日からの遅延損害金並びに6の不法行為による損害金三億三四四三万円とこれについての訴えの追加申立書陳述の日の翌日からの遅延損害賠償金の支払いを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因1、2は認める。

2  請求原因3(信託契約違反)について

請求原因3は否認及び争う。贈与も差押・競売も有効が確認されている。また、仮に無効なら原告は未だ(株)飯高の発行済株式のうちの一四万株を一人で保有していることになるので、株主権を行使して(株)飯高をして本件訴訟を提起すればよい。

3  請求原因4から6(不法行為)について

請求原因4から6は否認及び争う。

(一) 構成要件の不明確性

本来(株)飯高が訴えを提起するのが普通なのに、そうでなく原告が個人として訴えを提起することに根本的な矛盾があり、理解困難なものとなっている。

(二) 行為の主体について

被告がしたと原告において主張する諸行為の主体は、原告である。

(三) 注意義務の法的根拠

原告は、請求原因4・5の財産管理に関する注意義務の発生根拠を信託契約としているが、被告は、(株)飯高から不動産信託を受け、さらにその後これを基調にして(株)飯高から広範な経営委任を受けている。したがって、(株)飯高の業務に関連した注意義務違反を被告に問いうるのは(株)飯高であり、原告はこれを問うことはできない。

また、請求原因6の個人的資産の中には、限定した目的で預かったものがあるが、それについては、全部返還等をしており、いずれにしろ原告になんらの損害も与えていない。

第四  争点についての判断(争いのない事実及び一度証拠で認定した事実は原則としてその旨をことわらない。争いのある事実の認定については、認定に供した主な証拠を事実の末尾に略記する。複数回にわたる証拠調べの調書については、一回目を①のように示す。成立に争いがないか弁論の全趣旨により成立の認められる書証については、その旨の説示を省略する。)

一  本件株式五万株の正子への贈与

1  本件株式((株)飯高株)の信託契約

原告は、昭和六一年一〇月に(株)飯高の全発行済株式を保有する立場にあったところ、これを被告に信託により交付した。このような信託をしたのは、次のような経緯からであった。

原告の父の飯高勝は、(株)飯高と飯高木材工業株式会社(以下「飯高木材」という。)を経営していたが、昭和四一年に死亡した。飯高勝死亡後は、後妻飯高スズエ(以下「スズエ」という。)が(株)飯高の代表者に、原告が飯高木材の代表者に就いた。昭和五九年ころ、原告が飯高木材の資産を個人的に費消するとして、スズエとの間に紛争が生じるようになり、被告が原告の代理人として右の紛争に関与するようになった。その事態解決の話し合いの中で、昭和六一年六月、原告が飯高木材から完全に撤退し、(株)飯高の全株式を取得することが合意され<甲四>、また、原告は、被告との間で、前記のようにして取得した(株)飯高株を全部被告に信託する旨を合意した。<甲五>。このようにして、平成三年には、原告が(株)飯高の全株式を取得してこれを被告に信託している状態となった。<乙一六の一>

2  無断贈与の有無

(一) 原告は、被告が1のようにして受託している(株)飯高株(本件株式)のうちの五万株を平成五年一月一一日原告に無断で原告の妻の正子に贈与したとし、それは、信託契約に違反する旨を主張し、その旨を記載した陳述書<甲一〇〇の二の一項>を提出する。

(二) しかし、そもそも無断であったとの事実を認めるに足りる的確な証拠はない。かえって、原告が贈与を承諾する旨を明らかにした書面がある。「将来の相続税対策の一環として、原告の株式の一部五万株を奥様に贈与する件は、株価が下がったいま(一株二〇〇〇円前後)が絶好の時期であり、資金繰りから年明けに実行すべきである。奥様に贈与後は贈与株式を被告が奥様から信託を受けることについて、奥様から承諾を得ている。」旨を記載した原告宛の被告作成の平成四年一一月二七日付けの法律事務報告書<甲二一>が原告に送られ、原告はその末尾に「本日右報告を受け、了解しました。よろしくお願い申しあげます。」と記載し署名押印している。さらに被告の平成五年一月一一日付けの法律事務報告書<甲二二>で正子に五万株を贈与し、被告がこれを正子から信託を受けた旨を原告に伝え、原告がその報告書末尾に「報告を受け了解しました。以前よりお聞きしているところであり、依存はありません。」と記載し、署名捺印している。このような体裁の文書は、自然な事務の流れの中で作成するとは思えず、後日の証拠とするために作られた書面という感もないではない。また、別居中の正子に贈与することを原告が納得していたのか、贈与することがどのような税金対策となるのか等の点について、いささか得心がいかない面もないではない。しかし、慶應大学法学部出身の五五歳の原告が内容を分からずに右報告書に署名したとは思えないので、原告が贈与意思がないのに贈与の承諾を表明したとは認めがたい。

なお、この五万株の贈与を争点とした別件が二件あり、そこでは、贈与有効と判断されている。一は、職務代行者選任仮処分事件であり、これについては、全員株主総会の成否の前提として(株)飯高の五万株の贈与の有無が問題となったが、裁判所は贈与有効の判断をしている<甲一九>。二は、原告から正子に対するこの五万株の引渡請求事件であり、裁判所は贈与有効として請求棄却としている<乙一六の一・三、乙二七>。

(三) したがって、原告は、贈与税対策あるいは他の何らかの目的(乙一六の一の四丁裏では、当初は贈与の相手を長男とするつもりであったが、贈与税を低く抑えるために妻である正子への贈与としたとの事実が認定されている。)から真意で正子への贈与を承諾していたと認めるべきであり、右贈与は、原告に無断でされたものとはいえない。また、右贈与は、原告に何らかの便益をもたらすものとうかがわれ、信託契約の趣旨にも反しないというべきである。

3  まとめ

よって、本件株式五万株の無断贈与を理由とする損害賠償請求は、損害について検討するまでもなく、理由がない。

二  本件株式九万株の競売

1  債務名義・差押・競売の内容

(株)飯高が昭和六二年三月一〇日付け金銭消費貸借契約に基づき原告に対し一億円の債権を有するとして、(株)飯高を債権者、原告を債務者とする執行受諾文言付の公正証書(東京法務局所属公証人山根治作成の昭和六二年第二七八号債務弁済公正証書)が作成されていた。<乙二二の三、乙二六の一の一丁裏>

また、(株)飯高が昭和六一年一一月六日原告に二億五〇〇〇万円を貸し付けたとする同様の公正証書(東京法務局所属公証人山根治作成の昭和六一年第一二五一号債務弁済公正証書)が存在する。<乙二二の二、甲七五、原告本人調書一一頁>

そして、右の債権(昭和六二年の貸金元本一億円、昭和六一年の貸金元本三一九五万余円及び両債権の利息損害金)を執行債権として平成五年六月一七日に原告(債務者)が被告(第三債務者)に対して有する九万株の本件株式の引渡請求権の差押がされた<乙二二の一、甲七五の二頁、甲一〇〇の二の三項>。次いで同年七月二二日に右九万株が競売され、正子が六六四二万円で競落した<甲二三、甲七五の二頁、甲一〇〇の二の三項>。

原告は、競売のもとになった債権が架空である旨を主張し、その旨を供述する<原告調書一二頁>が、右供述は具体的な説得力を欠き、これだけをもって前記公正証書が架空の債権を表示した無効のものであるとは認めることができず、他にその旨の事実を証する証拠はなく、反対に一億円についての公正証書記載の債権について提起された請求異議訴訟において、公正証書記載の債務は原告が真意で負担する旨の意思を表明したとして請求棄却の判決<乙二六・二八>がされている。したがって、二つの公正証書記載の債権が存在し、差押、競売の結果を無効とするような瑕疵は見当たらないというべきである。

2  差押・競売に至る前の本件株式信託契約の状況

(一) 原告の被告に対する不信感

神田神保町の土地のいわゆる地上げ計画に関連して(株)飯高所有で被告に信託している千石の土地が平成三年六月七日に大和ファイナンスに対して担保に提供されていたが、それが担保権の実行により失われるおそれが出てきたこと、(株)飯高が神田神保町の土地の元の所有者である東洋キネマから売買の無効確認訴訟を提起され神田神保町の土地の確保自体に不安が生じていること(平成四年一一月一八日(株)飯高敗訴の一審判決―甲八)、その他(株)飯高の経営の内容について被告が原告に十分に説明してくれないことが多いことなどから、原告は、平成五年初め頃には被告に対して不信感を抱くようになっていた。<(一)全体につき、甲一〇〇の一の六項冒頭、甲一〇一の四四頁>

(二) 信託契約・顧問契約等の解任通知と株券不返還

(1) 原告は、(株)飯高の代表者として、平成五年四月一六日付けで被告に対して(株)飯高の顧問弁護士としての地位を解任するとの意思を伝えた。ついで、原告は、本訴訟代理人の内田・内藤弁護士を代理人として、同月二二日付け同月二三日到達の書面で、個人としての立場も加えて、法律事務の委任契約並びに千石の土地及び本件株式の信託契約を全て解除する旨の通告をし、併せて信託財産及び受任事務に関する一件記録の返還を要求した。

これに対し、被告は、(株)飯高から報酬を受け取っていないから一件記録を渡せないとの態度を取った。<(二)全体につき、甲一〇〇の一の六項、甲一〇一の四四頁>

(2) 報酬未清算を理由とする不返還の当否

ところで、本件株式信託は(株)飯高の安定した経営基盤を確立することを目的とし、管理を目的として株券を受託者に交付し、株主権は受託者が行使し、配当その他の利益はすべて委託者が受けるというものであり、信託の報酬は別途協議の上定めるとされていた<甲五>。ところが、報酬の内容についてどのように定められていたかについて、被告の説明は不明確である<被告報告書①四から八頁>。

また、被告は、中途解約禁止で一五年間の信託契約であるから三億〇九〇〇万円(計算上一年二〇六〇万円となる。)の報酬の未払がある等とも説明する<被告本人調書①四〇から四四頁、甲三九の一の三丁裏>。しかし、まず著しい契約違反の場合には解除ができるとされており<甲五の六条>、原告の(一)の不安感は信託契約を解除するに足る著しい違反に連なるものであるから、被告の右拒否理由(中途解約禁止条項の引用)は、前提において採用できない。また報酬未払の点は解約までの間に仮に発生したものがあるとしても、右のとおり本件株式信託は株券の予防的な保管が主であるから報酬もそれ程高くはならないと考えられるし、もし本当に支払いの約束があるならそれまでに少しは支払いがあるということになるはずであるにもかかわらず、信託契約時から解除時まで全く支払われておらず、それにもかかわらず被告において支払いを催促した気配もないのである。仮に一五年後にまとめて三億〇九〇〇円を支払うとの約束なら、平成五年四月の解除通告を受けた際にそれまでの分(約七年分)として按分的に清算して請求するということも考えられるが、そのような動きもない。

これらからすると、被告の前記説明は、到底信用できるものではない。結局信託の報酬について格別の取り決めは未だなかったため、報酬の滞納というものはないか、仮に滞納があってもそれは信義則上生じる少額のものであったというべきである。

したがって、本件において、委託者からの信託契約解除に伴う株券等の返還請求について受託者が報酬の未清算を理由にこれを拒否するのは、不当な態度であるといわざるを得ない。

(3) 返還に伴う危険を理由とする返還拒否の当否

また、被告は、原告が問題を起こすような団体に株式を譲渡することを恐れたため株券を返還しなかった旨を供述する<被告調書①四五頁>。

しかし、解任の通知を受けた委託者が信託関係が存続していることを前提として信託財産の返還を拒否することは理由がないといわなければならない。原告にとっては、受託者であった被告の手許に株券が残存している事態こそが大いに問題であるというのであるから、受託者でなくなった、あるいは少なくとも原告が受託者として扱いたくないと表明している被告は、委託者である原告が株券を保有することになるのが仮に問題があると感じるとしても、それを言う資格はないのである。係争となり互いの言い分が違うなら、第三者に預けるなり法律家としては合理的なやりかたがあろうというべきであるところ、そのような方法を取らずに返還に応じないのは、むしろ被告に合理的な拒否理由のないことを示すものである。

(4) 以上によれば、原告は本件株式信託契約を解除し、被告は受託株式を返還しなければならなかったのに、未だこれを返還していないというべきである。

3  株券不返還状態の継続(信託契約解除に続く株主権の争奪)

(一) 原告を(株)飯高代表取締役から解任する旨の取締役会決議議事録

(株)飯高の当時の取締役は、原告、被告法律事務所の事務員緒方洋雄及び同事務所事務員酒光英世の弟の酒光章夫の三名であったところ、原告の知らないうちに原告を代表取締役から解任し酒光章夫を代表取締役に選任した旨の平成五年四月二三日付けの取締役会議事録が作成され、同月二六日その旨の登記手続がされた。そして、被告は、原告がこのように(株)飯高の代表取締役を解任されたから、原告が被告に対してした2(二)(1)記載の解任及び解除通知は無効であると主張し始めた。<甲一〇〇の一の六項⑧、甲一〇一の四五頁>

(二) 原告からの職務執行停止仮処分申請

原告は、酒光章夫の代表取締役選任を争い、職務執行停止の仮処分を申請したところ、右取締役会決議は適法な招集手続を経ておらず、原告が出席したわけでもないため、職務執行停止決定がされるのが確実であった。仮処分決定においてその旨が判示されている。<甲一〇一の四五・四九頁、甲一九の第三の二項>

(三) 本件差押・競売の意味及び手続の詳細

このような状況下で1の本件株式九万株の差押競売がされた。債務名義、差押、競売については、前記1のとおりであり、それ以外のその手続の詳細を見ると、次のとおりである。

債権者である(株)飯高の側で、その代表者である原告の財産である本件九万株に執行をすることをどのように現実に誰が決定したかであるが、原告はもちろん全く知らない。現実には、「原告が九万株を事件屋や暴力団のような者に譲渡しては大変なことになるので、そうならないうちに多少強引でも競売で完全に奪い取る必要がある。」等といった被告の説明を信じた正子((株)飯高の取締役ではないが、五万株の株主である。)及び原告と正子との間の子である飯高尚之が右意見に賛成し、これに原告以外の前記二名の取締役が従った結果である。なお、執行債権者の(株)飯高の代表者は、差押手続上は代表取締役酒光章夫とされている。<甲一〇六の第二の一、証人正子調書二二から二九頁、乙二二の一・七>

しかし、原告にとっては(株)飯高は自己の会社として執着のあるものであり、これを暴力団等の第三者に手放す意向があるはずもない。また、そもそも(株)飯高の原告に対する六、七年前の貸金債権の存在は別としても、(株)飯高がその未収金の回収に努力をしたが、その実効性が上がらないといった事情は見当たらない。しかも、原告に対する債権回収の手段を取るにしても本件株式以外の原告の資産を対象とすることが検討された気配は見当たらない。

また、競売代金の調達については、正子は知らない。ただし、正子は、被告から借用書に署名はさせられた<証人正子調書四三・四四頁では、正子が調達した旨を供述していたが、その後の甲一〇六の第二の一4により本文のとおり認定する。>。競売で取得した本件株式九万株については、正子は、直ちに被告に信託した<甲一〇六の第二の二>。

したがって、(株)飯高の原告に対する債権回収は権利行使の名目であり、真の目的は、(株)飯高の株主権の原告からの排除であり、かつ被告は助言者にとどまらずこれに主体的に関与していたと解される。

4  原告の債務の減少と本件株式九万株喪失との価値的対比(競売代金と本件株式九万株の時価との対比)

競売には他の買受人がおらず、正子が最低競売価額の六六四二万円で買い受けた<甲一〇六の第二の一4>。

ところで、本件株式の一株当たりの価額は、五万株を正子に贈与(平成五年一月)する際の資料として平成四年一二月二一日に公認会計士小林昌敏により作成された評価書<甲四二>によれば、平成四年一一月当時で一八六九円、平成四年六月当時で二万六八七五円とされ、六万株の新株発行(平成四年一一月)をする際の資料として平成四年九月二五日に同会計士により作成された評価書<甲四〇>によれば、その作成時点で一五二二円とされていた。なお、新株発行は一株につき一五〇〇円とし、有利発行に当たるので株主総会の特別決議が必要であるとの取締役会決議がされ、特別決議がされている<乙二一の一・二>。

右の小林評価書に対して意見を求められた公認会計士坂根利幸は、贈与時の資料の評価額について平成四年六月と一一月とで大幅な違いが出ているが、その理由は、後者では神田神保町の土地の欠損分三四億円を算入している点にあるところ、右欠損金算入とした判断が適正ならばという条件付きで、小林意見を是認し、新株発行時の資料の評価額については一五二二円ではなく、三八四六円あるいは三万八二一三円となるとの意見を述べている<甲四二>。

5  (株)飯高の代表者としての本件株式回復の可能性(株主争奪の帰趨)

(一) 原告は、競売により本件株式九万株を失った。

(二) ところで、平成四年一一月にされた六万株の新株発行により(株)飯高の発行済株式総数は二〇万株となっていた<甲一〇〇の二>ところ、そのうち、正子は受贈分五万株と競落分九万株の計一四万株を有することとなり、残りの六万株は新株引受をしたブルータスが保有することとなった。ブルータスは、被告の法律事務所事務員であった佐々木智康が代表取締役であった会社であり、原告のいない(株)飯高と関係が深かった<証人佐々木調書二・二五頁>。

そこで、正子とブルータスとが出席した(株)飯高の株主総会が平成五年八月一八日ころに開催され、そこで原告を(株)飯高の取締役から解任する決議がされ、新取締役に正子、飯高尚之、奥村英世(前監査役)が選任され、同日の取締役会において、尚之が代表取締役に選任された<甲一〇一の四六頁、甲一九>。したがって、原告は、株主でないのはもとより、(株)飯高の会社経営からも排除された。

以上により、原告は、既に競売で返還請求権も失っていた九万株の株券について、これを取り戻す手段を事実上完全に失った。その反面、被告は、原告を(株)飯高から完全に追放し、自己のいいなりになる執行部を通じて(株)飯高の経営を自己の意向に従って継続することが可能となった。

6  信託契約違反に基づく損害賠償の有無

(一) 信託契約の終了に伴う原状回復義務の履行遅滞

被告は、原告から本件株式の信託契約を解除されたにもかかわらず、受託していた九万株の本件株式を返還しなかったのであり、これは、信託契約の終了に伴う原状回復義務の履行遅滞である。

(二) 原状回復義務の責に帰すべき履行不能

そして、被告は、この不返還という原状回復義務の履行遅滞状態を正当な理由もなしに継続し、加えて(株)飯高の原告を除く執行部に働きかけて(株)飯高の原告に対する貸金債権の執行のために第三債務者となる被告保有の本件株式九万株を差し押さえさせ、これを競売させ、正子をして競落させ、正子から同一株式の信託をさせ、不返還の状態を不動のものとした。すなわち、被告は、原告からの本件株式九万株の返還請求は拒否しながら、他方で原告以外の(株)飯高の実質的執行部に働きかけて同社の原告に対する五、六年近くも放置していた貸金についての公正証書の執行として本件株式九万株を差押競売させ、その執行における第三債務者としての立場においては何ら抵抗せず執行を容認し、それにより原告への本件株式九万株の返還義務を消滅させ、原告の右株式回復手段を喪失させた。受託者として本来右株式を適正に管理する立場にありながら、被告は、これをせず、反対に他人((株)飯高)をして要急でもない権利の行使をさせて信託の目的物を委託者が回復できないようにさせ、被告自身から見ると信託の目的物の不返還の債務不履行の状態を解消するとともに、恒久的に返還不要の事実状態を作り出したわけである。責に帰すべき事由により原状回復義務の履行を不能にしたものである。

なお、被告に信託契約上の何らかの報酬請求権がありそれを担保するために被告が本件の九万株の全部または一部の株券を留置することができたと仮定しても、受託者としての地位にありながら自身の権益の擁護発展のために、留置権の行使にとどまらず留置目的物についての相手方の権利を巧妙な手段を用いて奪うのは、当初原状回復義務の履行遅滞がなかっただけで、履行不能にしたことについては有責事由があることに変わりはない。

したがって、原告は、被告による信託契約終了に伴う原状回復義務の有責事由による履行不能により本件株式を回復する手段を失ったのであるから、これに代わる損害賠償が可能となるというべきである。

(三) 損害額

その場合の損害の額であるが、競売では競落代金が六六七二万円であったわけであるから、原告は競落代金から競売費用を引いた金額だけ(株)飯高に対する債務を減少させた反面本件株式九万株を失ったのであり、これによる(株)飯高に対する支配権喪失は原告にとって絶え難いものであったと推認される。ただし、これをそのまま損害に計上することは計算上困難であるし、(株)飯高の純資産の二〇分の九を損害というのは、会社清算の場合ではないので相当ではない。したがって、株式の評価の手法に従って、取引価格(時価)を算定し、少なくとも右株式の時価と債務減少額との差額をもって損害というのが相当である。そうすると、右の時価としては、他に適当な評価額に関する証拠がない本件においては、競売時にいくらかでも近接した4のとおりの贈与時(平成四年一一月)の評価を採用することとし、少なくとも一株一八六九円、九万株で一億六八二一円と評価することが妥当である。したがって、原告は、これと競売代金との差額である一億〇一四九万円の損害を被ったと認めるのが相当である。

なお、右のように解することは、正子が本件株式九万株を割安に購入したことを意味するが、正子は、競売という法定の手続によって右株式を取得した以上、不当な利得をしたということになるものではない。

三  千石の土地の担保提供による(株)飯高資産及び本件株式の評価損失

1  (株)飯高の資産減少による株式の評価損失と回復の方法

原告は、千石の土地が中外鑛業の借入のために平成三年六月に担保に提供され、結局担保権が実行されて(株)飯高として損失を被り、その結果、原告がいわば(株)飯高名義で有していた資産を喪失したところ、それは、(株)飯高の経営に深く関与していた被告のもたらした結果である旨を主張する。

中外鑛業は神田神保町の土地の購入資金九五億三八五〇万円を調達するために原告の右主張のように大和ファイナンスから一一五億円の借入を行うこととしその際に千石の土地が大和ファイナンスに対して担保に供された事実がある<甲一〇一の三二から三六頁>が、それにより(株)飯高の株価が低下し、かつその原因となる経営の失敗が(株)飯高の取締役でもない被告によりもたらされたと仮定しても、株主は、特段の事情でもない限り直ちに当該第三者に対して責任を追及できるものではない。というのは、右のような場合、まずは、会社((株)飯高)自体が当該第三者(被告)に対して不法行為責任を請求することができるわけであり、それにもかかわらず、株主が直接第三者に請求できるとすると、株主が先に第三者から損害を回復してしまい、会社がもはや第三者に請求できなくなり、会社あるいは総株主に帰属すべき財産を特定の株主が早い者勝ちに取得する結果をもたらし、不公平だからである。株主は、会社をして損害を回復させ株価を回復することを通じて損害の回復を図ることができるのが原則である。

しかも、本件では、原告は、平成五年六月までには贈与と差押競売で当初有していた(株)飯高の株式一四万株を失っていたのであり、現時点で、自らあるいは(株)飯高が損失を回復することを通じ、その利益を享受できる地位にはないのであるから、その意味からも原告は、被告に対して千石の土地の担保提供についての損害賠償請求をすることはできないといわなければならない。

2  なお、若干の事実関係に触れておくと、次のような点に注意しておく必要がある。

(株)飯高は昭和六二年初め頃から不動産事業に乗り出し、その経営判断を実質的には取締役でもない被告に委ねていった。神田神保町の土地は所有権を確実に確保することが難しい物件であり、しかもその買受代金内金の支払い及び訴訟等で(株)飯高は神田神保町の土地の取得に相当の費用を使っていた。それらの資金調達は基本的には千石の土地を担保とする方法によらざるを得ず、平成三年六月時点で千石の土地に付された担保権は五〇から六〇億円位になっていた。平成三年春頃からは銀行の融資規制の影響で資金繰りが悪くなり、神田神保町の土地の地上げ後に(株)飯高からこれを買い受ける予定となっていた東洋機工が買受代金の調達に困り、(株)飯高としては、転売先に困ってきた。そこで、中外鑛業なるものを転売先に立てるが、中外鑛業は資金力がないので中外鑛業がその購入資金を大和ファイナンスから借りる際に(株)飯高が千石の土地の担保余力を提供するということとなった。つまり、売主となる(株)飯高が買主となる中外鑛業のために(株)飯高の別物件を担保提供するという不自然な資金計画によるものであった。したがって、この計画は、(株)飯高が神田神保町の土地を完全に取得できるかに不安があり、かつ(株)飯高から買い受ける中外鑛業がさらに転売して、購入のための借入金を大和ファイナンスに返還し、(株)飯高にとっては、千石の土地の担保権が解消されるという希望的な条件に賭けるというものであり、しかもこれを前提に大和ファイナンスからの借入金で中外鑛業は(株)飯高に売買代金内金八七億七一五〇円を支払ったのであり、問題をはらんだ見込み売買の実行であった。そして、(株)飯高は、このようにして払われた売買代金の内金をもって、過去に借り入れた先への返済の他、被告やブルータスへの仲介手数料、報酬等名目の金員も支払われてしまった。しかし、神田神保町の土地の転売はうまくいかず<丙三>、逆に千石の土地は平成四年一一月に担保権が実行されて平成九年二月九二億余円で競落されるところとなった。<全体につき、甲一〇一の一一から一八・二三から二五・三二から四一頁>

四  新株発行による損害賠償

原告は、「被告は、平成四年一一月に六万株の(株)飯高の新株発行をして被告の関係者の会社であるブルータスに低廉な価額(一株一五〇〇円で九〇〇〇万円)で引き受けさせたので、原告は、(株)飯高の資産の二〇分の六の価値を喪失した。」旨を主張する。

しかし、原告が(株)飯高の取締役会で取締役としてこれを承認し、総会決議を経た旨の議事録<乙二一の一・二>がある。また、三の場合と同様の理由で、会社でなく原告が直接に株式の評価額をその原因を作った行為者に対して請求することはできないと解される。よって、この損害賠償請求は、その余について検討するまでもなく理由がない。

五  預り金不返還による賠償請求

1  五五〇〇万円

原告は、「原告は、郡央商事から借入れをしたことがないのに、被告が昭和六一年六月四日に原告のために郡央商事に五五〇〇万円を返済したと説明しているのは、おかしい。これは、被告が原告の金員を預かったまま自己の自由にしたものではないか。」と主張する。これに沿った原告代理人作成の報告書<甲七五添付報告書>が存在する。

しかし、郡央商事が原告に充てた日付・金額・趣旨が被告の説明に符合する領収書<乙五>が存在する。そして、原告自身のこの点に関する説明は不明確であり<原告本人調書五三頁>、単に知らないというに等しく、右書証の記載内容を覆すものではない。そして、他に原告主張事実を認めるに足りる的確な証拠はない。

2  一億一五八二万円

原告は、「被告が昭和六一年六月五日に原告のために日新エステートに対して二億六五八二万円を支払った旨を主張するが、被告が右の趣旨で払えるのは一億五〇〇〇万円までである。したがって、右の金額を超える一億一五八二万円は被告が預かったままである。」旨を主張する。

しかし、右主張事実に関する原告の供述は、被告に委せてあるので知らないというものにとどまり<原告本人調書五九から六一頁>、他方原告が日新エステートに対して支払うべき金額が二億円、一億五〇〇〇万円の二口あったことを示す原告の署名入りの書証<乙一>がある。これらに照らすと、被告が一億五八一二万円を預かったままであるとの事実は認められない。

3  一億六三六一万円

原告は、「被告が昭和六一年六月五日に原告のために東和土地建物に対して損害賠償金を支払った旨を主張するが、原告のための出費であるとの証明ができていない。したがって、これは、被告が預かったままの金員である。」旨を主張する。

しかし、原告が東和土地建物に支払うべき債務がある旨を記載した原告の署名入りの書証<乙一の一>が存在する。他方、原告は、すべて被告に預けていたと述べる<原告本人調書一八頁>だけで、それ以上の説明ができない。これらに照らすと、被告が一億六三六一万円を預かったままであるとの事実は認められない。

六  結論

そうすると、原告の請求は、本件株式九万株の信託契約終了に伴う原状回復義務の責に帰すべき事由による履行不能に基づく損害賠償請求の限度で理由があり、その余は理由がない。そこで、訴訟費用の負担につき民訴法六一条・六四条を適用し、仮執行宣言は相当でないのでこれを付さないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官岡光民雄 裁判官庄司芳男 裁判官杉浦正典)

別紙物件目録<省略>

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